Report
ジョグジャ少しずつ頂上が見えてきやした。あともう少しだ、っふんだ。
ではいってみよ!
本日は哲人アンタリクサの原チャリに2ケツ(90年代前半では二人乗りをそう呼びました)して、今あるジョグジャのオルタナティブアートシーンのルーツを目指します。喧騒の街を抜け、緑がだんだん多くなり、周囲はすっかり田舎。といっても30分ぐらいしか走ってないんだけどね。ここは自然溢れる村の景 色、目印なんてなにもなく、賢人アンタリクサであっても迷子になっちった。ぐるぐるぐるぐる回ってバターになりかけて、ようやく到着しました。ここは伝説のアーティストコレクティブ『TARING PADI』のスタジオです。
スタジオ入り口
お話をきかせてくれたのは創設メンバーの一人でもあるUcup Baikさん(右奥)と現メンバーのDjuwadi(左)さん。
『TARING PADI』は1998年結成。このブログを読んでくれている方は1998という数字が何度か出てきているのにお気づきになられているかもしれません。この 数字、インドネシアにとって重大な意味を持っています。なぜなら30年余にわたりインドネシアに独裁体制を敷いたスハルト元大統領が首都のジャカルタで起こった暴動をきっかけに退陣に追い込まれたのが1998年だからです。それまで集団での政治的な行動が一切禁止されていたインドネシアにとって、それ以降、様々なグループが爆発的に登場してくることになります。
Ucup Baikさん。なんとあの小山登美夫ギャラリーに所属していたりもします。
『TARING PADI』もスハルト退陣の年に、15人のメンバーによってジョグジャカルタで結成されたグループで、元美術学校であった建物をスクワット(占拠)し、当時の美大生や中退生を中心に、アクティビスト、ミュージシャン、詩人、演劇人などが、数年にわたって共同生活を続けていきます。そこでは展覧会や音楽ライブ、シンポジウムなどが日夜繰り広げられ、彼らは、芸術表現と並行し、社会運動にも積極的に関わっていくことになります。『TARING PADI』のスクワットしたスペースには、数え切れないほどの若い表現者が出入りし、それぞれが新しいグループや活動を起こすきっかけとなっていきまし た。ジョグジャのオルタナティブアートシーンのルーツという所以はここにあるのです。2004年にスクワットした建物から強制的に退去させられましたが、 2007年にはスタジオを自分たちで購入、現在のメンバーは8人。
後日訪れた、『TARING PADI』がスクワットしていた校舎。今は政府が管理しています。
『TARING PADI』はアーティストであるのと同時にアクティビストとしても多彩な活動を展開しています。トレードマークにもなっている木版画による作品を武器に、 インドネシアにおいて様々な地域が抱える問題に鮮やかに切り込んでいきます。木版画やシルクスクリーンによるポスターや横断幕やTシャツなどを製作して、 村のお祭りとコラボレーションするなどして、政治的なメッセージを次々発信していきました。村人たちともに音楽やパフォーマンスなども展開。腐敗、汚職、 搾取など多くの問題を抱える地域政府に地域住民が自ら対抗していくのをアートの力で後ろ押しするのです。彼らの活動はアートの世界はもちろん、世界中のNGOやアクティビストにも大きな注目を集めています。
版画作品を見せてくれました。
ジョグジャの街中にあった『TARING PADI』のミュラル
組織として厳しい規律のようなものを作った時代もあったそうですが、現在はもっとオープンな組織となり、上下関係やルールなどの存在しないよりオーガニックな組織として活動していると話してくれました。“米の牙”を意味する『TARING PADI』いやー、かなり尖ってますね。ジョグジャのルーツはやはりハードコアでしたわ。
後からスタジオにやって来たメンバーも加わって。
そしてご一緒に
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TARING PADI
Dusun Sembungan, Rt.02, Desa Bangunjiwo Kec. Kasihan, Kab.Bantul, Jogjakarta
設立年: 1998
アクティビティ: ワークショップ、アートプロジェクトの企画運営
一時代を築いたアーティスト兼アクティビスト集団